「クルド人少女へのいじめ問題」の現場周辺を巡った

 川口は昔から人々の流入流出が多く、新参者には寛容性がある。だから西川口には中国人が多く、市の北側には、トルコからやってきたクルド人が多く住んでいると、よく語っていたが、その「寛容性」に疑問符をうつニュースが先月あたりから報道されている。クルド人少女へのいじめ問題だ。そのニュースの詳細は検索すればいくらでも見つかるだろう。私もこの記事を読み、同じ市内に住む住人として、衝撃を受けた。ああ、自分が住んでいる場所は寛容性のあるパラダイスではなく、やはりここも不寛容などうしようもない「日本」の一部なのだと、悲しい気持ちになった。
 ただ、文字と、ちょっとだけ添えられた写真を見ているだけで想いを巡らせていてもしょうがないじゃないか、「現場の空気でも吸ってみるか」と今日(5月7日)、自転車でニュースにあった小学校周辺に行ってみた。そこは自宅からだいたい20分ほどで行ける、外環の川口西インターチェンジ近くの場所だ。
 住所でいえば「芝」「伊刈」、路地になった暗渠も含めて水路が多く、住宅と空き地が統一性なく疎らにあることから昔は水田地帯であり、1970年前後から宅地開発された地域であると分かる。駅からは徒歩圏内ではないので、都心への通勤者だけでなく、市内の工場や建設会社、工務店などの職場に通勤する人が住み始めたのだろう。
 宅地開発されて約50年、その頃に建てらたであろう古い家、特に廃屋になったものが目立つ。またその頃から住んでいるであろう高齢者がよく目につく。休日の影響も大きいが、活気はなく、静かで、騒音避けで外壁で囲まれた外環からの車の行き交う鈍い音がずっと聞こえている。f:id:MURAKEN:20190507113742j:plain

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f:id:MURAKEN:20190507113508j:plain そんな場所に80年代後半ごろに建てられた集合住宅も何棟かあり、クルド人たちがそこに住んでいた。一部が焼け落ちたアパートもあり、周辺の住民に聞いたところ先月火事があって、けが人も出たという。多くはワンルームで、家族で住むにはあまりにも狭く生活環境は悪いと思う。f:id:MURAKEN:20190507114021j:plain

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f:id:MURAKEN:20190507114120j:plain もしかしたら、家族で複数の部屋を借りているかもしれないが、そうだとしても、ここでの生活は苦労が多いだろう。そして、彼らがこのような境遇で過ごす最大の原因は長年、難民認定されないことからの「不安定な立場」であり、小学校で起きたいじめ問題もその影響は大きくあると思う。f:id:MURAKEN:20190507114158j:plain

f:id:MURAKEN:20190507114213j:plain もう一つ、川口の北部を巡って感じたのは、東京の周辺でさえ起きている高齢化と人口減少。端的に言えば、これは住民からは怒られそうだが、スラム化だ。いえいえ、そんなことはないと否定されそうだが、開発されず空き地ばかりの風景ばかりを見ていると、全国の地方都市と同様の現象がまさにここでも起きていると考えられる。そしてそんな地域に、法的に守られない弱い立場の人々が住み続ける。空洞化した地域だからこそ、彼らの存在は社会的に認識されにくく、不可視化され、問題は解決されないまま累積されていく。そしてどんどん悪化する未来…。f:id:MURAKEN:20190507114316j:plain

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 まあ、わずか数時間、ニュースのあった地域を巡っただけでは、こんな程度の想像しかできないが、しかし、現地に行くと行かないのでは大違い。これからあのような報道があった時は、今日見た光景を参照しながら考えを巡らすことはできる。これはすごく大きなことだ。
 さて、これは希望みたいなものだけど、何かここから、歌みたいなもの、文化的な何か、ヒップホップのようなもの生まれないかなと思った。いや、必ず生まれるはずだ。せっかく同じ地域に住んでいるのだから、それが生まれたことを報告するため、耳をすまそうと思う。もしかしたら、もう生まれているかもしれない。
 実は今日、公園で遊ぶクルド人の小学一年生ぐらいの少年二人に声をかけたが、日本語が通じなかった。最初は、ああこれは大変ことだと思ったが、しかし、これがこれからの「普通」になるのかもしれない。人々の移動は止められない。そして混ざり合う。必ず。(了)f:id:MURAKEN:20190507114445j:plain

 

秘密の場所






 天気がいいので、大喜と近所を歩く。「秘密の場所に連れてってあげる」というのでついていくと、路地に入り、駐車場と空き地が混在した場所に小さな家屋が数軒だけ立っている空間に出た。「ここでよく遊ぶんだ」と大喜。整備された公園よりもこんなところを好む気持ち、すごく分かる。屋根の上にある大きな物干し台は、過去、この辺りにこのような家屋が密集していたことを意味する。部屋の中に光は入らなくとも、せめて洗濯物はおもいっきり天日で干したいということだ。この辺りは鋳物業が盛んだった地域だから、工員の家族が多く住み、屋根の上に洗いたての作業着がたくさん風になびいていたのだろう。今日のような台風一過の日は特に。

お湯がいっぱい使えるからいいんだよね

 
「お湯がいっぱい使えるからいいんだよね」。銭湯に行くたびに思い出す言葉である。聞いたのは25年前。場所は新宿区富久町。俺はこの街で独り暮らしをしていて、住まいは築40年ぐらいのアパートだった。建物はすでにボロボロ、1階の自分の部屋には浴室はあったが、2階にはなかった。その2階の、自室の真上に住む70歳ぐらいのお婆ちゃんとアパートの外階段の下で鉢合わせになり、タオルと洗面器を持っていたので「毎日、銭湯に行くの大変ですね」と声をかけて、戻ってきたのがこの言葉である。確かに、シャワーもなく、小さな湯船と洗い場でちまちまと体を洗っている自分より、ふんだんにお湯を使える銭湯の方が贅沢かもしれない。デカイ湯船で体を伸ばしてリラックスする、そんなお婆ちゃんの姿を想像しながら、その言葉に納得した。
 夏、暑い日々が続いたある日、俺は2つの異変にやっと気がついた。「腐敗臭がする」「ハエがやたらに多い」。普段から自堕落な生活を送っていたので、最初は自分の部屋にがその発生源があると思い、徹底的に自室を調べたが、何も見つからない。当時、クーラーなんていう贅沢品は俺には無用だと思っていたので、ずっと窓を開けて生活していた。原因はもしかしたら部屋の外にあるかもしれない。ならばしかたがないかと諦めかけていた、異変に気がついてから数日後の朝、アパートの隣に住む大家の叫び声が天井の上から聞こえてきた。「●●(お婆ちゃんの苗字)さんが死んでるー!」と。
 この日、お婆ちゃんがどんな姿になっていたのかは分からない。アパートに急行してきた警察官が「絶対に見ちゃダメ!」とすごく怖い顔で言ったので、2階の部屋は覗くことができなかったからだ。俺はアパート前の道から現場検証を見守るしかなかった。そこで「家賃も持ってこないし、おかしいと思って合鍵を開けて入ったらさ…」と亡くなったお婆ちゃんと同年代の大家の話を聞いているときに、2階の部屋から警察官が飛び出てきて、大家に向かって叫んだ。「もう1人いますよ!」と。大家は驚き、俺と顔を見合わせた。だって、亡くなったお婆ちゃんは独り暮らしのはずだったし、大家も契約したときにもそのように聞いていたのだから。
 救急隊員にタンカで運び出されたのは、透き通るような真っ白い肌をした、老婆だった。生きていた。後から大家から聞いたところ、彼女は亡くなったお婆ちゃんの姉だった。いつからかは分からないが、亡くなったお婆ちゃんと同居を始めたが、元々足が悪く、ずっと寝たきりの状態だったそうだ。
 そんなことがあってから数年間、結婚して川口に引っ越すまで、そのアパートに住んでいたが、時々、天井を見上げながら、自分の妹が亡くなり腐敗していく様子をなにも出来ずただ見守っているだけだった老婆の心境を想像したりしていた。そして今でも銭湯に行くと「お湯がいっぱい使えるからいいんだよね」という言葉と一緒に、ここまで記したことを思い出す。体を洗っているときも、デカイ湯船で体を伸ばしてリラックスしているときも。不思議と嫌な気持ちはまったくない。ただ、ずっと「お婆ちゃんの死」という事実がペタリと体にくっついているだけ。そんな感じだ。
 2階のお婆ちゃんの部屋はしばらく空室だったが、いつからかホストクラブの衣装置き場になり、窓ガラス越しにもきらびかかなスーツが吊るされているのが見えた。ときどき、新人らしいホストが沢山の衣装を抱えながら部屋から出てきて、トントントンと外階段を降りて、アパートの西側にある歌舞伎町の方に走っていった。そんなときはいつもなぜか、夕日が綺麗だった。 
 

雨のときのお話

子供頃、雨の日になにをしていたのだろう。ネットもない時代、テレビがつまらない時に。思い出すのが、波紋。ああそうだ、ずっと水たまりにできる輪っかを見ていた。しかし、よくあんなものを見ていて飽きなかったものだ。波紋と波紋がぶつかると、どうなるのだろう?子供のときにあれほど観察していたのに今は思い出せない。あと、歌謡曲だ。実家の暗い階段に座って、隣の喫茶店から聞こえる歌謡曲を壁越しに聴いていた。有線のものだろう、題名もわからないムード歌謡をよく壁に耳をつけて聴いていた。イージーリスニングもよく流れていた。自分の意思を無視してアトランダムに次から次に知らない曲が聞こえてくるのが面白く夢中になっていた。音で思い出したけど、街の音を聞くの好きだった。実家は商店街にあったから、外から多様な音が聞こえてきて、飽きなかった。雨の日でも、近くにアーケードがあったから賑やかだった。スピーカーから流れる音楽、人々の話し声、クラクション、犬や猫の鳴き声。それに雨音が加わると、すべての音がソフトフォーカスをかけたようになり、輪郭が少しだけ曖昧な抽象画のような光景がいくつも頭に浮かんできた。あと水滴だ。窓にある水滴はレンズになり、焦点を合わせると、世界が真逆に写って、これもおもしろかった。ずっとそれを見ていると、いつしか流れ落ちてしまい、世界も一緒にどこかに行ってしまったような気分になった。